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包丁を研ぐ

公開日: : 最終更新日:2014/12/20 ショートショート

ある夜、遅い時間に料理長を探して調理場へ入った。
すっかり片付けが終わったそこは一箇所だけ灯りがついている。
「お疲れさま」
声をかけると、まだ顔に幼さが残る新人の調理スタッフが顔を上げた。
「あ、おつかれさまですっ」
元気な声が調理場に響いた。
「料理長はもう帰宅した?」
「あ、はい。30分ほど前に」
「君は?」
「あ、この包丁を研いだら帰ります」
彼の手元には、3本の包丁と研ぎ石があった。

彼は、天草の高校を卒業し、料理の道へ入った。
父親はすでに亡くなっていると聞いた。
彼が研いでいた包丁は、同じく料理人だった父親の形見らしい。
料理長は、包丁を一心に研ぐ彼の姿を見ていると料理への心が伝わってくる、と言っていた。
「おやじさんから受け継いだものを大切にしているんです。
刃はだいぶ磨り減っていますが、切れ味は抜群ですよ」

後日、また、調理場へ入ることがあった。
夜遅くだというのに、いい香りが漂っている。
彼ともう一人の調理スタッフが何か作っているところだった。
「やあ、おいしそうだね」
調理台には、できたての煮物が皿に上品に盛り付けられていた。
「今日、料理長が作られていたものを作ってみたんです」
もう一人の調理スタッフが言った。
仕事の合間に見よう見まねで覚えたものを、夜遅く練習しているのだろう。
「オーナーも味を見てもらえないでしょうか?」
彼は、恥ずかしそうに小さな声で「ぜひ、食べてみてください」と言った。
「じゃ、いただこうかな」
白身魚の煮物だ、味がよく染みている。
彼の料理へのひたむきな心を感じさせる味だった。
「うん。おいしいよ」
彼の顔が輝く。

きっと彼は今夜もあの包丁を研ぐのだろう。そして、また明日も。
磨き続ける包丁はすばらしい切れ味を保ち、彼の料理への思いもまた磨かれていく。
私は温かな雰囲気の漂う調理場を後にした。

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石山離宮 五足のくつ オーナー 山﨑 博文
下田温泉一の老舗『旅館 伊賀屋』の六代目として 天草下田温泉に生まれた天草育ちの天草男児。 2002年7月に、九州の西の果て、東シナ海を見渡す山に 全室露天風呂付き離れの温泉旅館『石山離宮 五足のくつ』をオープン。 趣味は散歩と温泉と水泳。旅行家としての一面も持つ。
石山離宮 五足のくつ オーナー 山﨑 博文

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