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母、伊賀屋大女将の死

公開日: : 最終更新日:2014/12/17 自身のこと

母、山﨑トシ子は昭和8年の生まれで
天草の手野という山深い土地に生まれた。
実家は、農家であった。両親ともに天草の生まれ。
兄弟が5人、姉妹は2人でとても仲がよかった。
幼いころを戦時下に育ち、
学校へは芋づくりに行ったようなもので
勉強などできなかったとよく言っていた。
若い頃を大阪の紡績工場で働き、
その傍らお寿司屋さんで働いたり、和裁を習ったりしていたようだ。

昭和34年に伊賀屋に嫁いでからは、
そのおかげかサバ寿司やチラシ寿司などもお客様から好評だったし、
着物なども自分で仕立てていた。
とにかく働き者だった。
身を惜しまず働く女だった。

その母が先週(平成26年11月26日)亡くなった。

私は、その死をその日、覚悟しながらも
大事な取材があったので仕事を優先した。
それを母は喜ぶに違いないと確信していたからだ。

葬儀が終わった後も多くの従業員が弔問に訪れてくれる。
「大女将、お世話になりました」と言いながら。
私が死んだとき、
こう言ってくれる従業員が何人いてくれるだろうかと思う。
母の仕事への愛は、同時に従業員への感謝だったのだろう。

母が病床で、子や孫に別れの挨拶をした後、
最後に言った言葉を披露させていただきたい。

「私は子どもにも孫にも恵まれたけれども
一番みぞかとは(かわいいのは)伊賀屋だった」

私は、52年間に渡って
旅館経営の研修をしてきたようなものだと実感している。
私は、52年間に渡る長時間の
昭和の女の一代映画を楽しんだのだと思っている。
感謝している。

ありがとう

8
↑母であり、旅館 伊賀屋 五代目女将 山﨑トシ子
母の作るよもぎだんごは
五足のくつのお着きのお菓子としてお出ししている。
これからも母の味を守り、
お客様にお楽しみいただきたいと思う。

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石山離宮 五足のくつ オーナー 山﨑 博文
下田温泉一の老舗『旅館 伊賀屋』の六代目として 天草下田温泉に生まれた天草育ちの天草男児。 2002年7月に、九州の西の果て、東シナ海を見渡す山に 全室露天風呂付き離れの温泉旅館『石山離宮 五足のくつ』をオープン。 趣味は散歩と温泉と水泳。旅行家としての一面も持つ。
石山離宮 五足のくつ オーナー 山﨑 博文

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