天草・下田温泉の旅館「五足のくつ」は、九州は熊本にあり、離れの各客室に自家源泉・かけ流しの露天風呂が付く。天草四郎ゆかりの地。

海辺の旅籠
旅館名「五足のくつ」は明治時代の五人の詩人たちの旅に由来する。
詩人たちは旅に何を求めていたのだろうか。

私は、よく旅に出かける。
それは旅に出て、その土地に触れることによって新しいことを発見し、
自分の世界を広げていくことに喜びを感じるからだ。
これまでに旅した距離は地球何周分になっただろうか。
それだけの旅を経験しても、前回イタリアを訪れたときのことは鮮明に覚えている。

宿泊したのは、
南イタリアのホジターノという町にある老舗ホテル「イル・サンピエトロ」だ。
「ようこそ。アジアの方?」
「ええ、日本から来ました」
「何泊するの?」
「三泊お願いします」
「まあ、たったそれだけ?もっとゆっくりしていけばいいのに」
飾り気のない会話をしながら、スタッフは宿泊する部屋のドアを開けた。

家具や調度品は特別こだわっている雰囲気はないのだが大きなベッドが印象的だ。
そして、そこからは海が見える。
五足のくつから見える東シナ海とは別の表情を持つ、ティレニア海が広がっている。
「すばらしい景色だ」
思わずため息が出てしまう。
「きっといい夢が見られますよ」
スタッフはウィンクをした。

夕食まで、海でひと泳ぎすることにした。
海までは岸壁に造られたエレベータを使って降りた。
「落ち着くだろう?」
休憩していると、隣り合ったチェアに座っていた紳士が話しかけてきた。
「ええ。ホテルからの眺めもすばらしいですね」
紳士はバカンスのたびにここへやってくる、この宿の常連らしい。
聞けばこのホテル、切り立った崖をくりぬいて建てられているという。
それが、この視界のよさ、現実と切り離された雰囲気を作り出しているのだろう。
自然が造り出したこの景色は、人間業では生み出すことができない。
「ここに来ると、神様になったような気分だよ」
そうつぶやきながら、紳士は寝息を立てはじめた。

この日は、私の誕生日だった。
「贈り物が届いてますよ」
部屋に戻ると、先ほどのウィンクの女性が紙包みを渡してくれた。
あけてみると、五足のくつのスタッフから贈られたシャンパンだった。
ここに宿泊することは話していなかったのに、調べて送ってくれたようだ。
日ごろから、人を喜ばせることの尊さを伝えてきたスタッフたちが、
こんな形で自分を喜ばせてくれた…。

「お誕生日ですか?おめでとうございます。
海もまたMr.Yamasakiを祝福していますよ」
そう言って、彼女が窓の向こうを指さした。
「ホテルとはこう造ればいいんだ」
シャンパングラスを片手に、私は誕生日の晩餐をはじめた。